第2回「100年はかかる」憲法前文めぐりGHQ内でぶつかった理想と現実

Aストーリーズ 憲法前文を書いた男 ハッシー(2)

 恒久平和という理想に向けて、戦争が続く現実を私たちはどう乗り越えていけばよいのか。

 世界の国々は2度の大戦を経て、協力して平和を守る仕組みを築こうとした。国際連合が1945年に生まれ、日本は56年に加盟した。しかし、冷戦終結後も大国間の対立は続き、平和を守る仕組みは揺らいでいる。

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国連安全保障理事会の会合=2026年9月、米ニューヨーク

 この葛藤は、日本国憲法ができる過程にもあった。46年2月、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)で原案づくりに携わったハッシーとケーディスが、火花を散らした。

Aストーリーズ「憲法前文を書いた男 ハッシー」

日本国憲法の制定に深く関わった、ハッシーという米国人がいた。前文の原案を書き、平和への理念を託した。残された膨大な資料から足跡をたどり、公布80年のいま、彼が描いた平和のかたちから日本の針路を見つめ直す。

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敷かれた箝口令、1週間「缶詰」で作業

 最高司令官の米陸軍元帥マッカーサーは46年2月3日、日本政府に新憲法制定を急がせようと、GHQ案作成を民政局長ホイットニーに命じた。

 翌日、ホイットニーは民政局員を集めて「民政局は憲法制定会議となる」と告げ、「行動計画」を伝えた。前夜に民政局のケーディス、ハッシー、ラウエルで練ったものだ。

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 全体を仕切る運営委員会をこの3人で構成。ほかに天皇、立法、行政、司法など分野別に条文を起草する七つの委員会を設け、軍人と文民計25人を割り振った。

 作業の場は、GHQが拠点とする皇居そばの第一生命館6階オフィス。戦中に頑丈に造られた7階建ての第一生命館は、いまも第一生命保険本社の高層ビルの土台のように残っている。

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接収されGHQの拠点となった東京・有楽町の第一生命館=1951年

 ホイットニーは「2月12日までに民政局の案が完成し、元帥の承認を受けることを望む」と語り、箝口令(かんこうれい)を敷いた。民政局員らは約1週間、缶詰めになった。

 前文はハッシーに任された。マッカーサーが示した三原則「憲法の下の天皇、戦争廃止、封建制廃止」を、占領者の言葉ではなく、日本国民の誓いへと発展させる必要があった。

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アルフレッド・ロドマン・ハッシー・ジュニア=岩波新書「GHQ」から

 マッカーサー三原則の「戦争廃止」は、こうだ。

 「国家の主権としての戦争は廃止される。紛争解決の手段としても、自身の安全を保つ手段としてさえも、日本は戦争を放棄する。日本はその防衛と保護を、いま世界に広まるより高い理想に委ねる。

 日本の陸軍、海軍、空軍は決して認められず、いかなる日本軍にも交戦権は決して与えられない」

​記事末尾で、日本国憲法の制定過程を描いたドラマ本編(約12分)と当時のマッカーサーの執務室の3D映像がご覧いただけます

 これに対し、ハッシーが残した前文に関する2枚の原稿がある。

 1枚目には、日本国民は戦争…

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