「いちばん華奢だった」イチロー氏 自ら考え、刻んでいった成長曲線

愛工大名電高野球部の倉野光生監督。右上は高校時代のイチロー氏のパネル=2025年1月21日、愛知県春日井市、辻健治撮影  イチロー氏の米国野球殿堂入りについて、母校の愛工大名電高(名古屋市)で野球部監督を務める倉野光生さ [...] The post 「いちばん華奢だった」イチロー氏 自ら考え、刻んでいった成長曲線 appeared first on Japan Today.

「いちばん華奢だった」イチロー氏 自ら考え、刻んでいった成長曲線
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愛工大名電高野球部の倉野光生監督。右上は高校時代のイチロー氏のパネル=2025年1月21日、愛知県春日井市、辻健治撮影
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 イチロー氏の米国野球殿堂入りについて、母校の愛工大名電高(名古屋市)で野球部監督を務める倉野光生さん(66)は「背番号51が、51歳になって殿堂入りする。やっぱりスター、巡り合わせの強さがすごい」とたたえた。

 倉野さんはイチロー氏が在学時にコーチだった。「身長170センチ、体重55キロで入学して、選手の中でいちばん華奢(きゃしゃ)だった」と振り返る。しかし、「技術で教えることはもう無かった」。

 入学当初から打撃は際立っており、学年が上がるごとに意識的に打球方向を変えていたという。

 1年は三遊間など逆方向へ。パワーが付きだすと2年は投手の足元をかすめるセンター前、3年になってライトオーバーの打球を放ちだした。

 「自分の成長を段階的に自分自身で操作しながら大きくなっていった」

 野球部は、当時から自主性を重んじるチームカラー。倉野さんは個人練習に取り組むイチロー氏の姿が印象に残っている。ウェートトレーニングも本格的に始めた。「必要だと思う練習はするけど、周りと一緒にする練習で『それはマスターしてるよ』ってことはやろうとしなかった。(イチロー氏は)好き嫌いが多い方だから、体を大きくするためにしっかり食べなさいと僕はうるさく言ったね」

 昨年11月、イチロー氏は後輩たちへ指導するため母校を訪れた。現在の愛工大名電では、最新機器を駆使して投攻守のあらゆる動きを数値化。データを活用した野球に取り組んでいる。それに対し、イチロー氏は「データでがんじがらめになって、感性が消えていくのが現代の野球。あまり縛られないように。感性を大事に」と後輩たちへ語りかけた。

 母校の現状を危惧するような言葉。「どれだけの時間と努力と工夫をして今のイチローになったか、彼自身が知っている。体で覚えることの大切さ、その必要性を伝えたいということだったと思う。私も改めて刺激を与えてもらった」と倉野さんは受け止めた。

 20年近く前、イチロー氏は倉野さんにこう言ったという。「生涯現役、やれるところまでやります」。倉野さんは「プロ野球を引退しても『まだ現役選手なんだ』という意味だったのかな。我々には予測不可能だけど、殿堂入りは新たな出発点だと考えているのでしょう」と思いをはせた。

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