母が編んだ「じゃじゃまる」セーター デザイナー救ったあの日の記憶

母・千明さん手製のセーターを着た村上亮太さん。小学生の頃に編んでもらった「じゃじゃまる」のセーターを手に=2025年4月30日、松沢奈々子撮影  1997年4月のこと。小学3年生になったばかりの村上亮太さん(36)は、初 [...] The post 母が編んだ「じゃじゃまる」セーター デザイナー救ったあの日の記憶 appeared first on Japan Today.

母が編んだ「じゃじゃまる」セーター デザイナー救ったあの日の記憶
写真・図版
母・千明さん手製のセーターを着た村上亮太さん。小学生の頃に編んでもらった「じゃじゃまる」のセーターを手に=2025年4月30日、松沢奈々子撮影

 1997年4月のこと。小学3年生になったばかりの村上亮太さん(36)は、初めて「心が折れる」経験をした。

 大阪から兵庫・加古川に引っ越した直後のことだ。転入先の小学校には、入学式や始業式など特別な日に着るそろいの上着があった。村上さんは間に合わず、代わりに母・千明さんの手編みのカーディガンを着ていた。紺色で、胸にはたしか、クマのワッペンがついていた。

 始業式のあと、ふいに級友にカーディガンのことをからかわれた。面食らって、村上さんは何も言い返せなかった。涙を必死でこらえた。

 自宅は、母が趣味で作った手芸作品であふれていた。クッションのカバーやマフラー。物心ついた時から、村上さんも手編みのセーターを着ていた。それが普通だったし、自然なことだったのに――。「思えばあれが、人とは違うんだと気づいた初めての経験だった」

 ほどなく、不登校になった。母は何も言わず見守ってくれた。だが半年ほど経ったころ、しびれを切らした。「いい加減に行きなさい!」

 話の流れで、不登校になった本当のわけを告白した。「みんなが着ている流行の服を着たい」。すると母は、キレた。そして、その時から何も作らなくなってしまった。村上さんも母の世界観を拒絶した。

「信じられないくらいほめられた」母の作品

 思春期になると、本格的にお…

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