「戦国最弱」か「不死鳥」か 時代にあらがった武将・小田氏治の実像

小田氏治の肖像画(部分)=法雲寺所蔵(土浦市立博物館寄託)  戦国最強の武将はいったい誰か。軍神とうたわれた上杉謙信、その好敵手の武田信玄、「鬼島津」と呼ばれた島津義弘、いや織田信長に決まっている……。そんな話に花を咲か [...] The post 「戦国最弱」か「不死鳥」か 時代にあらがった武将・小田氏治の実像 appeared first on Japan Today.

「戦国最弱」か「不死鳥」か 時代にあらがった武将・小田氏治の実像
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小田氏治の肖像画(部分)=法雲寺所蔵(土浦市立博物館寄託)
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 戦国最強の武将はいったい誰か。軍神とうたわれた上杉謙信、その好敵手の武田信玄、「鬼島津」と呼ばれた島津義弘、いや織田信長に決まっている……。そんな話に花を咲かせた歴史ファンも、きっと多いのではないか。一方で、「戦国最弱」といわれ注目を集める武将もいる。その名は、小田氏治(うじはる)(天庵)。「常陸(茨城県)の不死鳥」との評価もある武将の実像は――。

広大な小田城跡

 東京からつくばエクスプレス線で約40分。茨城県つくば市に降り立った。車で北にさらに30分近く。小田城跡に着いた。鎌倉時代から戦国時代までの間、この地を治めた小田氏の本拠地だ。筑波山(標高877メートル)の南に連なる宝篋(ほうきょう)山(標高461メートル)のふもとに位置する。

 城跡に足を踏み入れると、まずその広大さに圧倒された。本丸跡は100メートル四方を超える広場。国の史跡指定を受けている城跡敷地は、全体で東京ドーム4・6個分にあたる21万7千平方メートルに及ぶ。目の前には関東平野が広がり、強い空っ風が吹き付けてきた。

 「中世の常陸南西部では最も規模の大きい城だったと思われます」と、案内してくれた市教育局文化財課の広瀬季一郎さん。広瀬さんは大学院まで日本中世史を研究し、小田城跡の調査・整備を手がける。

 小田氏が歴史の舞台に登場するのは、鎌倉時代のこと。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した八田(はった)知家を初代とする、関東の有力武士の一族だ。4代目・時知の時代までには、この小田に拠点を構えていたという。

「9回落城」その真偽は

 小田氏治(1531年ごろ~1601年ごろ)は、戦国時代末期の15代目当主。若くして家督を継ぐも、佐竹氏、北条氏、上杉氏といった戦国大名との抗争の中で、小田城を何度も奪われたため「最弱」とされる。だが、そのたびに城を奪い返し、舞い戻っている。

 「連戦連敗」「9回も落城さ…

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