エスカレーター片側空けは前世紀の遺物? 専門家が追う歴史と課題

エスカレーターでは「立ち止まって乗りましょう」と呼びかけられていますが、歩く人のために片側を空ける習慣は根強く残っています。なぜ片側を空ける習慣が始まったのでしょうか。(withnews編集部・山野拓郎)

亡霊のように生き続ける「20世紀の価値観」?
「エスカレーターの片側空けは、20世紀の価値観がいまだに亡霊みたいに生き続けているようなもの」
エスカレーター文化を研究する文化人類学者で江戸川大学名誉教授の斗鬼正一(とき・まさかず)さんは、そう言います。

エスカレーターは、利用者が歩くことを前提につくられた製品ではありません。
斗鬼さんは「エスカレーターで歩いて事故が起きるというのは、電子レンジで洗濯物を乾かして火事を起こすのと同じです。歩きたい人は歩き、止まりたい人は止まればいいという次元の話ではないのです」と指摘します。
鉄道各社や業界団体の日本エレベーター協会も、エスカレーターの歩行は危険だとして、立ち止まって乗るよう呼びかけています。
エスカレーターを立ち止まって利用することを義務づけた条例がある埼玉県ではこの秋、知事らが参加する啓発活動が行われ、立ち止まっての利用を呼びかけました。
「守るべきマナー」が一転
そもそもなぜ、歩きたい人のために片側を空けるようになったのでしょうか。
斗鬼さんの研究によると、日本で片側空けが始まったのは1967年ごろ。大阪の私鉄駅において、放送や掲示で「急ぐ方のために左側をお空けください」と呼びかけたのがきっかけだと考えられるそうです。
東京では1980年代後半に、複数の駅で自然発生的に始まったそうです。
片側空けが呼びかけられたり、自然発生したりした駅では、片側を空けることがむしろ「守るべきマナー」とされていました。
当時はイギリスなどの欧米諸国で片側空けの習慣があるとして、海外経験が豊富な人たちが「欧米のマナーを見習うべきだ」と発信していたことも、片側空けが定着した要因の一つとして考えられるといいます。
大阪と東京で片側空けが始まった時代背景には共通するものがあると、斗鬼さんは言います。
1960年代は「国民所得倍増計画」が掲げられ、高度経済成長を追い求めた時代でした。1980年代後半はバブル景気のさなかでした。
「片側空けは『速いことは良いこと』という価値観が多くの人に共有されていた時代に生まれたのです。歩道橋や、車が止まらない横断歩道と同様に、弱者への配慮がなく、効率一辺倒の時代に始まった文化が今も続いているといえるのではないでしょうか」
「同調圧力の強さ」一因?
日本社会で片側空けが浸透したあとになって、歩くことによる危険性や困っている人の存在などを指摘する声が高まり、歩行禁止が求められるようになりましたが、いまだに片側空けはなくなっていません。
斗鬼さんは「良いマナーとして始まったにもかかわらず、今は一転してやめるべきだとなったわけです。良いこととして始まったものを逆転させるには時間がかかります」と指摘します。

また、「日本人は秩序や規律を守る国民だと言われています。それ自体は良いことですが、エスカレーターに関しては、同調圧力の強さやみんなが一緒でなければならないという同質性の強さも相まって片側空けがなくならない要因の一つになっているのではないかと思います」と話します。
「現代を生きる人々の多くは、高度成長期やバブル景気のころのようにあくせく競争して物的豊かさを求めるよりも、心のゆとり、心の豊かさを大切にする寛容で多様性ある社会を望んでいるはずです。そんな時代に、急ぐ人を最優先して強者の論理を押しつける片側空けは前世紀の遺物でしかありません」
「みんなが納得する」ルールを
歩くのをやめてもらおうと、条例を定めた自治体もあります。
斗鬼さんは片側空けはやめるべきだと考えていますが、一方で、強制的に人々の行動を規制することには慎重であるべきだという立場です。
「法律で歩行を禁止して罰金を取るべきだ、という意見もありますが、それは好ましくないと思います。どうやって歩行を取り締まるのか。そんなことをしたら防犯カメラだらけの監視社会になってしまう。上からの取り締まりと同調圧力で歩行を禁じるのは、強者の論理を押しつける同調圧力で片側空けを強いてきた社会と何も変わらないと思います」
では、どうすればいいのでしょうか。

「『何が何でも歩くんだ』という人もある程度いるわけです。時間はかかるかもしれませんが、歩行禁止の理由を説明して、そういう人たちにも納得してもらうことが必要だと思います」
広まった慣習を急に変えることは難しいとしつつも、斗鬼さんは「上からの押しつけではなく、一人ひとりが自分事として自ら考えて納得して行動を変えていく社会。これがやっぱり一番望ましいのではないかと思います」と話します。
斗鬼さんはコロナ禍を経て、人との距離を意識する人も増えた中で、「ジグザグ乗り」はどうかと提案します。
前の人が左に立ったら次の人は右、次の人は左、というように乗る方法です。
「隣に知らない人と並ぶのが嫌だという人が結構います。エスカレーターで歩かず、輸送効率をあまり落とさないで、横に並ばなくても済む形として、ジグザグ乗りを広めていくのが一番現実的ではないかと思っています」
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