50歳で天命を知った元球児、けがせぬ体を トレーニング会社つくる

天理、東洋大姫路、東大阪大柏原……。この夏、甲子園をわかせた高校に、大阪市の「アスリートワークス」で鍛えた少年たちがいました。高校球児だった徳丸博之社長(55)のある思いが、50歳で大爆発。そんな会社のはじまりの物語、プレーボール!
カンサイのカイシャ ここがオモロイ!
大阪市内にある印刷所の息子。そんな徳丸さんは、小学2年で野球を始めた。「ありふれた野球少年でした」
高校では肩の強さを見込まれて投手に。監督から、1日200~300球の投球練習を厳命された。水を飲むな、休むな、ど根性。心頭滅却すれば火もまた涼し。そんな昭和のころだ。
1年生の秋。徳丸さんは、いつものように投げ込んでいた。
あっ。
右肩に激痛が走った。投げられない。近所の整骨院に行き、肩に電気をあてた。原因はよく分からないけれど、治療は以上。気合で治せるわけもなくて投手生命は終わった。
もうすぐ2年生になる冬。先輩たちとバーベルでトレーニングをしていた。
「いっちばん重いの、いきます」。徳丸さんは持ち上げた。
うっ。
あまりの腰の痛さに、崩れ落ちた。2週間の入院。一時は野球をやめる覚悟もした。夏の全国高校野球選手権大阪大会は、2年生でベスト16、3年生では2回戦負け。
中途半端や、自分は野球に真…
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