28球で甲子園を去った「高校最速右腕」が世界一へ向けて解放した力

28球で甲子園を去った「高校最速右腕」が世界一へ向けて解放した力
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キャッチボールをする健大高崎の石垣元気

 「高校生最速右腕」が、沖縄の地で躍動している。

 U18ワールドカップ(W杯)で抑えを任された健大高崎(群馬)の石垣元気は「やってやるぞの気持ち」と奮い立った。

 その素質を見せつけたのは、11日の決勝ラウンド米国戦の最終盤だった。

 押し出しで6―2に追い上げられた延長八回裏1死満塁、4番手としてその名がコールされた。

 「ストレートでいくって、(捕手の)横山と話していたんで」

 初球。しっかり指にかかった154キロ直球がミットに突き刺さる。2球目の直球はど真ん中にいったが、相手打者は体がよろめくほど振り遅れた。最後は「おりゃあ!」と声を出しながら、3球連続の154キロで空振り三振を奪った。

 初見の相手に対し、小手先の配球も遊び球も、必要ない。

 次の打者にも直球でカウントを稼ぐ。144キロの高速フォークを見せた直後、この日最速の155キロで詰まらせ、二飛に打ち取った。

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 「夏の続き」に、その力を解放しているようにも見える。

 今よりもう少し気温が高かった、1カ月前。石垣が臨んだ最後の甲子園は、28球で終わった。

 優勝候補の一角として挑んだ健大高崎は、初戦の2回戦で前年王者の京都国際とぶつかった。

 青柳博文監督は相手の好投手を念頭に、「後半勝負になる」と考えた。最速156キロのエース石垣をベンチからスタートさせた。

 しかし、相手打線の力は監督の想定を超えた。序盤からリードを許す展開になった。

 石垣がマウンドに上がったのは、3―6の七回だった。甲子園史上最速タイの155キロをたたき出すなど2回を無失点に抑えたが、逆転にはつながらなかった。

 青柳監督は、敗戦の責任を負った。「自分の読みが甘かった。継投が後手に回った」

 石垣はスタミナに不安があるわけではない。「石垣の先発も考えた」という青柳監督は、エースの投入が遅れた事情を語った。

 「将来をつぶしてしまう可能性があった。(大会前に整形外科医の)先生と話して、石垣に100球以上は負担がかかると。80球がめどと考えていた」

 石垣のように150キロ超を連発する高校生は、過去にほとんどいなかった。たとえ痛みを訴えていなくても、その出力が成長途上の体に及ぼす負担ははかり知れない。

 群馬大会でも、リリーフで計5回しか投げなかった。

 健大高崎はけが予防と勝利の両立をめざし、複数投手の育成に力を注いできた。だからこその判断だった。

 石垣も恨み言を言わなかった。十数人の報道陣に囲まれた敗戦後のインタビュールームで、からっとした表情で質問に答えた。

 「このピッチャー陣で打たれたらしょうがない」

 「ほんとにやりきったっていう思いが強かったんで、涙は出なかったです」

 不完全燃焼だという様子も、球速に浮かれた様子も見せなかった。

 高校日本代表の守護神として、米国打線をねじ伏せる教え子の姿を、青柳監督は沖縄セルラースタジアム那覇のスタンドで見守っていた。

 「良いピッチングでしたねえ」と、ゆっくりうなずいた。

 北海道で過ごした中学時代、石垣は全国的に無名だった。群馬での武者修行を選び、めきめきと実力を伸ばした。去年の秋ごろから、目標を公言している。

 ドラフト1位でのプロ入り、160キロ――。

 その前に、高校生として最後の大一番。14日の決勝、日本が大会連覇を果たすとすれば、そのときマウンドにいるのはこの右腕だろう。

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