軟式高校野球70回大会開幕 「最長試合」を2人の投手が振り返る

第59回大会準決勝 延長五十回で決着がつき、握手で健闘をたたえ合う中京(右)と崇徳の選手たち=2014年8月31日、兵庫県の明石トーカロ球場  第70回全国高校軟式野球選手権大会(日本高校野球連盟主催、朝日新聞社など後援 [...] The post 軟式高校野球70回大会開幕 「最長試合」を2人の投手が振り返る appeared first on Japan Today.

軟式高校野球70回大会開幕 「最長試合」を2人の投手が振り返る
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第59回大会準決勝 延長五十回で決着がつき、握手で健闘をたたえ合う中京(右)と崇徳の選手たち=2014年8月31日、兵庫県の明石トーカロ球場
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 第70回全国高校軟式野球選手権大会(日本高校野球連盟主催、朝日新聞社など後援)が24日、兵庫県の明石トーカロ球場(明石市)と、ウインク球場(姫路市)で開幕する。硬式高校野球の甲子園と同様、長い歴史のなかで幾多の名勝負がうまれたが、特に2014年、第59回大会準決勝の中京(東海代表・岐阜)―崇徳(そうとく)(西中国代表・広島)は延長五十回、4日間にわたる熱闘となった。両チームの投手が、長かった夏を振り返る。

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 99個の「0」と1個の「3」が並んだスコアを見ると、2人のほおが緩んだ。中京のエースだった松井大河さん(29)が「長すぎでしょう」と笑えば、崇徳の石岡樹輝弥(じゅきや)さん(29)は「終盤のお客さんの入りようはすごかった」。

 中京は過去6度の優勝を誇る全国常連校。一方、崇徳は12年ぶりの出場で優勝歴もない。石岡さんは「硬式で言うなら、大阪桐蔭に挑む感覚。とても勝負になるとは思っていませんでした」。

 松井さんは試合日までにあった練習で、先にグラウンドを使っていた崇徳の様子を覚えている。「僕らは坊主で、彼らは髪が長かった。キャッチボールもぽやーんって感じでリラックスしてて、チャラチャラしているなと。それがまさか」

 軟式野球で使うボールはゴム製のため、バットに当たるとボールが変形して飛びにくい。そのため、安打があまり出ず、試合は接戦になることが多い。当時のルールでは、延長十五回までに決着が付かない場合はサスペンデッドゲーム(一時停止試合)となった。

試合開始 譲らぬ両投手

 中京・松井、崇徳・石岡、両投手の先発で8月28日に始まった試合は、大会記録の延長二十五回を超える三十回に達した2日目以降、大きな話題となった。

 ツーシームを駆使して打たせて取る松井さんに対し、石岡さんは140キロに迫る直球で打者の内角をどんどん攻めた。松井さんは「ボールがキレキレでこれは打てないなと。でも、負けたくないと思えたから踏ん張れた」。

 このとき、石岡さんの背番号は「6」。エース番号をもらえなかった悔しさが原動力になっていた。決着するまで試合が続くため、簡単に交代はできない。2日目の試合終了のあいさつで、石岡さんが松井さんに言った。

 「明日もよろしく」

終わらない試合は、ついに50回に

 四十五回まで延びた3日目も、互いに得点を許さなかった。テレビや新聞各社が会場の明石トーカロ球場に詰めかけた。試合が継続になった後、石岡さんはほかの選手たちと洗面所に駆け込んだ。「軟式がこんなに注目されることなんてなかった。テレビに映るから、とみんなして髪形を直した」

 そのころ、松井さんは取材中に涙する平中亮太監督を見た。心苦しさを語っていて、「疲れていらいらしている場合ではないし、絶対に勝たせたいと思った」。

 迎えた4日目の8月31日。日本高野連は、試合は延長五十四回まで、決着しない場合は抽選で決勝進出校を決める、とした。石岡さんは続投を志願した。「気持ちの強さでは誰にも負けなかった。絶対に勝つ思いだった」

 延長五十回。長すぎる均衡を、先攻の中京が破る。無死満塁で右翼線を抜く2点二塁打。「もう、疲れは感じなかった」と松井さん。その裏を抑え、歓喜の瞬間を迎えた。

 同じ日にあった決勝では、中京側のスタンドに崇徳の選手が詰めかけた。石岡さんは「負けた後で本当は隠れていたかった」。声援を受けて優勝を遂げた松井さんは言う。「応援が心強くて、4日間でできた絆に支えられた」。チームは高校に戻ると、豪雨被害に遭った広島への義援金を集めに各教室を回った。

 4日間で、松井さんは決勝を含めて786球、石岡さんは689球を投げた。

投げ合った2人のその後

 その年の秋、テレビ番組の企画で石岡さんは中京のグラウンドを訪れ、松井さんと会った。「今思えば、どうして試合の話をしなかったのか」と口をそろえる。まるで久しぶりに会った友達のように、進路や近況を伝え合った。

 高校卒業後、松井さんは中京大に進学して準硬式野球部に入り、実業団の軟式野球部でもプレー。現在は建設業に携わる。

 石岡さんは進学した福岡大で準硬式野球部に入部。現在は、広島市西区の串焼き居酒屋「華笑」を兄と営む。7月にあった今夏の広島大会の始球式に抜擢(ばってき)され、あの日と同じユニホームでマウンドに立った。「見える景色に高ぶってしまって、あやうくデッドボールでした」

 10年あまりが過ぎても、試合の記憶が薄れることはない。

 「点は1人ではとれない。あの試合で仲間を信じることの大切さを学びました」と松井さん。

 石岡さんは「松井君がいなければ、こんな試合もなかった。今の選手たちにも相手との勝負を楽しみながら、1試合をやりきってほしいです」と節目の大会に臨む選手たちにエールを送る。

 この「中京―崇徳、延長五十回」を機に、次の大会からタイブレーク制が導入された。長い、長い試合は、もう二度と起こりえない永遠のものとなった。

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