第3回父の首は見つからなかった… 山陰最大の戦災を「一人称」で語り継ぐ
終戦前の1945年4月、鳥取県境町(現・境港市)で「山陰最大の戦災」とも呼ばれる爆発事故があった。火薬などを積んだ日本陸軍の徴用船「玉栄(たまえ)丸」が岸壁で爆発し、沿岸部一帯が延焼。市民を含む120人が亡くなった。事 [...] The post 第3回父の首は見つからなかった… 山陰最大の戦災を「一人称」で語り継ぐ appeared first on Japan Today.

終戦前の1945年4月、鳥取県境町(現・境港市)で「山陰最大の戦災」とも呼ばれる爆発事故があった。火薬などを積んだ日本陸軍の徴用船「玉栄(たまえ)丸」が岸壁で爆発し、沿岸部一帯が延焼。市民を含む120人が亡くなった。事故から80年経った今年4月、戦後生まれの人たちが当時の住民の証言を「一人称」で語り継ぐ初めての試みがあった。
「爆発はものすごい火柱でした。火柱は向こうの山より高く、よく漫画に出てくるように、人間などが空に舞い上がって、全くあれと同じでしたよ。(中略)(父は)顔は粉炭だらけ、真っ黒でした。外傷はほとんどありませんでしたが、横腹に鉄板が食い込んでいまして、背骨が真ん中辺りから二つに折れていました」
境港市民図書館のホール。集まった約50人を前に、市内の女性(65)が警防団員だった父を亡くした娘の証言を代弁した。「聴く人が入り込みやすいよう、ゆっくり話すことを心がけた。大げさにならず、一方で淡々とし過ぎない兼ね合いが難しかった」
一人称による語り継ぎを企画したのは、元中学校教諭で市教育長も務めた根平(ねひら)雄一郎さん(77)。鳥取県の戦災を記録する会の元メンバーだ。「つらいし、悲しい出来事ではあるが、悲惨な戦争体験は語り継いでいく必要がある」
証言は2年かけて100人から
1980年ごろ、県内の戦災…
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