第35回母を「淫売」と怒鳴りつけた父 「死の鉄道」部隊生き残りのトラウマ

戦争トラウマ 連鎖する心の傷  海水浴に向かうバスに揺られていた。父の会社の慰安旅行は、酒も入って陽気な雰囲気だった。  突然、前に座る父が振り向き、怒声が響いた。  「この淫売女がぁっ!」  市原和彦さん(73)の隣に [...] The post 第35回母を「淫売」と怒鳴りつけた父 「死の鉄道」部隊生き残りのトラウマ appeared first on Japan Today.

第35回母を「淫売」と怒鳴りつけた父 「死の鉄道」部隊生き残りのトラウマ
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戦争トラウマ 連鎖する心の傷

 海水浴に向かうバスに揺られていた。父の会社の慰安旅行は、酒も入って陽気な雰囲気だった。

 突然、前に座る父が振り向き、怒声が響いた。

 「この淫売女がぁっ!」

 市原和彦さん(73)の隣に座る母の顔にコップの酒を浴びせかけ、「この野郎」と握り拳で殴りかかった。

 市原さんは当時8歳。周囲の大人が慌てて「まあまあ」となだめるのが視界に入った。その後の記憶はほとんどない。

 海で何をしたか。帰り道、母はどんな顔をしていたのか。父の表情と、「いんばいおんな」の響きだけが、記憶に強烈にこびりついた。

「死の鉄道」部隊にいた父

 父・徳太郎さんは1917年、房総半島の漁村の船大工の家に生まれた。21歳で母と結婚。年の近いいとこ同士、仲が良かったと親戚に聞いた。

 41年、太平洋戦争が始まる直前に、ビルマ(現ミャンマー)へ出征した。敗戦の翌年に復員し、5年後に市原さんが生まれた。

 父は戦争の話をあまりしなかった。輸送船が沈められて3日3晩泳ぎ、ようやく日本の潜水艦に助けられた。そんな断片的なことを時折語った。

 戦地から帰ると、母は別の男性と暮らしていたそうだ。終戦直後で父が生死不明だった時期だ。「復員兵だった父は、ため込んだ感情を、あのバスの中で爆発させたんでしょう」

 小学校に上がる前の頃、父が…

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