第33回「お前さえおらなければ」母の言葉許した 生後33日で被爆した息子
つむぐ 被爆者3464人アンケート 大矢根哲生さん(80) 原爆の記憶は全くない。でも、被爆した事実は片時も頭から離れない。香川県丸亀市の大矢根哲生さん(80)は、そんな人生を送ってきた。 潮だまりに夕焼けが映る絶景 [...] The post 第33回「お前さえおらなければ」母の言葉許した 生後33日で被爆した息子 appeared first on Japan Today.

つむぐ 被爆者3464人アンケート 大矢根哲生さん(80)
原爆の記憶は全くない。でも、被爆した事実は片時も頭から離れない。香川県丸亀市の大矢根哲生さん(80)は、そんな人生を送ってきた。
潮だまりに夕焼けが映る絶景で知られる香川県三豊市の父母(ちちぶ)ケ浜。そこからほど近い小さな集落で、大矢根さんは幼少期から18歳まで過ごした。母のカヅミさん、10歳上の兄と3人暮らし。
物心ついてから最初の記憶は、平石幼稚園で友だちと遊ぶ姿だ。母は自宅の一角を駄菓子屋にして、女手一つで養ってくれた。
【3社合同企画】つむぐ 被爆者3564人アンケート
原爆投下から80年。朝日新聞、中国新聞、長崎新聞の3社は合同でアンケートを行いました。被爆者たちが私たちへ託した言葉をみる。
- 【詳報】被爆80年、アンケートに託された3564人の思い
「自分はほかの子と違う」と感じ始めたのは中学2年のときだ。突然手足やまぶたが腫れ、尿が出にくくなり、急性腎盂炎(じんうえん)と診断された。
その後に母が申請した大矢根さんの被爆者健康手帳にはこう記されていた。
《被爆の場所 広島市中広町 爆心地から1.4キロメートル》
《竹やぶ中にて母親と共に避難》
《全身ガラスの破片にて外傷》
1957年、国は原爆医療法を施行して広島、長崎の被爆者への支援を始めていた。その3年後に取得した手帳は公的な援護の対象になった証しだが、思いは複雑だった。広島に原爆が投下されたのは生まれて33日後。被爆者という意識はなかった。
「母には言えなかったが、『…
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