日立城下町で消える「日製」の文字 生産拠点売却で地元に広がる困惑
JR日立駅前に展示されている蒸気タービン。日立製作所が寄贈した=2025年4月21日、茨城県日立市幸町1丁目、張守男撮影 日立製作所の創業の地として発展してきた企業城下町・茨城県日立市。地元の人たちは、愛着をこめて、同 [...] The post 日立城下町で消える「日製」の文字 生産拠点売却で地元に広がる困惑 appeared first on Japan Today.

日立製作所の創業の地として発展してきた企業城下町・茨城県日立市。地元の人たちは、愛着をこめて、同社を「日製」と呼ぶ。その日製の文字やマークが市内から減り続けている。市の人口の減少も顕著だ。2023年のデータによると、全国の市町村(政令指定都市を除く)でみた場合、減少数は23番目に多い。なにが起きているのか。
JR日立駅(日立市)近くにある大きな工場は、かつて日立製作所の海岸工場と呼ばれていた。
「聖地」でもスリーダイヤ
創業者小平浪平氏の記念館があった、聖地のような場所だった。
しかし、現在その一部は三菱重工業の日立工場に変わり、日製の「亀の甲」マークは外され、三菱の「スリーダイヤ」が掲げられている。
日製と三菱重工業が火力発電システム事業を統合して2014年に発足した三菱日立パワーシステムズの日立工場になり、20年に完全に三菱重工業の資本になった。
近くに住む60代男性は「日製のメインのようなこの工場まで手放すなんて」と肩を落とす。
日製は09年に経営危機に陥り、11年の東日本大震災による東京電力福島第一原発事故のあと、世界的な電源構成の見直しもあり、デジタル部門などに軸足を移した。日立市内に生産拠点があった系列企業も、次々に売却していった。
日製は取材に「日立市内の一部事業については、激化するグローバル市場での競争環境の中、事業の将来の成長を鑑み、日立グループに留まるよりも大きな成長を実現できるパートナーに対して事業譲渡を行ってきた」と説明する。
市は人口流出を懸念するが
市議会でも日製の再編は雇用…
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