トランプ再来、曲がり角の「吉田路線」 対米依存の「先」を描けるか

訪米しマッカーサー元帥(左)と再会した吉田首相=1954年、米ニューヨーク 「100年をたどる旅~未来のための近現代史」日米編⑤  敗戦後の日本でダグラス・マッカーサー元帥と主に相対したのは、のちに首相となる吉田茂(18 [...] The post トランプ再来、曲がり角の「吉田路線」 対米依存の「先」を描けるか appeared first on Japan Today.

トランプ再来、曲がり角の「吉田路線」 対米依存の「先」を描けるか
写真・図版
訪米しマッカーサー元帥(左)と再会した吉田首相=1954年、米ニューヨーク

「100年をたどる旅~未来のための近現代史」日米編⑤

 敗戦後の日本でダグラス・マッカーサー元帥と主に相対したのは、のちに首相となる吉田茂(1878~1967)だ。

 吉田は外相だった1945年9月、連合国軍総司令部(GHQ)が拠点を置く皇居そばの第一生命館にマッカーサーを訪ねている。日本側の会談録によると、旧日本軍の独走や戦後復興の多難さから「デモクラッシー(民主主義)」が必要だと説くマッカーサーに対し、吉田は日本にも第1次世界大戦後には民主主義があった、と答えた。

 世界恐慌のため、日独伊ではファシズムや軍国主義が台頭した。いずれも国貧しきがゆえに起こった。そう続けたのち、吉田はこう強調した。「デモクラッシー実現にはまず国民に食べさせ、職を与え、生活の安定向上を図ることが肝要だ」

 吉田の回顧録によれば、そのころ吉田は終戦時に退陣した元首相の鈴木貫太郎を訪ね、「戦争は負けっぷりもよくないといけない」と助言を得ていた。GHQに「言うべきことは言うが、あとは潔く従う」と決めていた吉田が強調したのが、この経済重視の考え方だった。

「ステップ」だった吉田路線 定着させたのは

 第1次吉田内閣(46~47年)の退陣後、米国主導のGHQはソ連との対立が深まると占領政策を転換した。主権回復前に、日本を米国に引きつけておこう。そんな思惑があった。

 外交官ジョージ・ケナンとマッカーサーの協議を経て採択された米国の方針「NSC13/2」がそれだった。

 首相に返り咲いた吉田はすん…

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