アウトドアガイドから災害支援のプロに「誰もいないなら俺がなる」
被災地でともに暮らしてこそ見える景色や課題がある。「プロのサッカー選手がいるように、災害支援のプロがいたっていいよね」=2025年7月、石川県輪島市、川村直子撮影 災害NGO結代表・災害支援コーディネーター 前原土武さん [...] The post アウトドアガイドから災害支援のプロに「誰もいないなら俺がなる」 appeared first on Japan Today.

災害NGO結代表・災害支援コーディネーター 前原土武さん
自然災害が起こると、およそ24時間以内に現地に入ってバイクで駆け回り、集めた情報を被災者支援のNPO団体や社会福祉協議会、自治体に伝える。必要な支援規模を概算し、活用できるリソースから計画を組み立て、展開する。生活拠点を被災地に置き、復旧・復興への道のりを伴走する。14年前から、そんな暮らしを続けている。
- 災害復旧はボランティアありき? 持続可能な災害支援に必要な仕組みとは
沖縄県出身。夢だった美容師になったが、小さな箱の中で客を取り合っているようで性に合わず、24歳のとき帰る日を決めず島を出た。旅先で魅了されたラフティングのガイドをしながら国内を巡り、さらに海外へ。バックパッカーの旅を重ね、ヨーロッパからアフリカへ自転車で向かう途中、愛車が壊れて一時帰国。金をためて出直そうと東京で添乗員を始めてまもなく、東日本大震災が起きた。
ニュース映像に衝撃を受けて東北へ向かい、泥をかいた。だが数日でスコップを置く。「千人のスコップの動きを調整するほうが、効率的で役に立つ」。ガイドや添乗員の経験を生かし、災害ボランティアセンターの窓口業務を整理してサテライト(現地拠点)を立ち上げた。
さらに被災地を回る中で気づいた。どの場所も支援の手を求めながら、受け入れの仕組みづくりにてこずり、復旧が遅れていく。住まい、食、生業(なりわい)など住民が直面する困難は多岐にわたるのに、幅広い支援を仕掛けたり調整したりする人がいない。「誰もいないなら俺がなる。災害支援で生きていく」
プロスポーツ選手のように、応援されて食べていける人になろう、とブログで活動報告を始めた。期限切れのアルファ化米やカップ麺で腹を満たし、車中泊を重ねながら、ボランティアの旅を続けた。貯金が底をつくまでは資金協力を求めない、と決めて約2年。伸ばしていた髪とひげをそり、口座番号とともに記した。「恥ずかしながら、お願いしたいと思います 災害NGO結(ゆい)」
結の由来は沖縄の方言「ゆいまーる(共同作業)」。困っている人とサポートする人をつなぎ、未来の笑顔に結び付いてほしい、との思いを込めている。
昨年元日の能登半島地震では、翌日から半島のほぼ全域を回り、1月7日には石川県七尾市の廃校に「広域支援ベース」を開設。「人口流出が加速するからこそ、多くの人と能登をつなぐことが大切」と、のべ1万2千人以上のボランティアとともに、炊き出しや入浴支援、物資配達、重機での土砂撤去などさまざまな支援を奥能登へ届けた。
「そばにいて今日を支えたい」。1人で始めた活動は多くの仲間を得て、数千万円の寄付を集めるまでになった。
活動内容は毎日SNSで報告…
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