【詳報】布石そっちのけの激戦、全局に波及 名人戦最終決戦1日目
【囲碁名人戦ライブ】一力遼名人―芝野虎丸棋聖 勝てば名人、最終決戦【第51期囲碁名人戦第7局1日目】
防衛か、奪還か――。一力遼名人(29)に芝野虎丸棋聖(26)が挑戦している第51期囲碁名人戦七番勝負(朝日新聞社主催)の最終第7局が28、29日、静岡県伊豆市の旅館「坂聖(さかひじり)・玉樟園(ぎょくしょうえん)」で打たれている。3期連続同一カードの頂上決戦は、ここまで両者3勝3敗。この一番を取ったほうが名人だ。
持ち時間は各8時間。28日午前9時に始まり、29日夜までに終局する。立会人は片岡聡九段(68)、新聞解説は鈴木伸二八段(35)、ユーチューブ解説は鶴山淳志八段(45)。1日目の対局の模様をタイムラインで詳報する。
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1日目総括
きしみあう接触戦
対局開始直後から布石そっちのけで突入した激戦は、収束することなく全局に波及している。
両者3勝3敗で迎えた最終局は、芝野挑戦者の左上白8のカケに一力名人が黒9、11と出切り、最強手の応酬となった。
上辺黒25が左方の白を攻める強手。白30から脱出を図る挑戦者に対し、名人は黒31、33と形構わず封じ込める。包囲網は傷だらけだが耐えており、黒53で左方の白石10個を召し捕った。
名人は大利を得たが、これで形勢は互角。挑戦者が白56から包囲網の弱点を突いて逆襲に転じ、ここでいかにポイントを取るかが焦点になった。しかし、石と石がきしみあう接触戦は徐々に名人有利に働き、黒93まで中央から下辺に延びる白の一団が標的になった。

解説の鈴木伸二八段は「挑戦者の白94は、相手の応手次第で作戦を選ぶ様子見の一手。名人の次の手次第で碁の展開が変わってきます」と分析した。
17:30
名人が封じ手
午後5時半、一力名人が25分考えて95手目を封じた。各8時間の持ち時間のうち、1日目の消費時間は黒番の一力名人が4時間9分、白番の芝野挑戦者が3時間21分。

16:10
記録係「いつもより顔をしかめる」
本局の記録係は伊藤優詩(まさし)六段(35)と竹下奈那初段(18)が交代で務めている。

記録の合間に竹下初段が囲碁将棋TVに出演し、盤側から見た両対局者は「お二人ともいつもより顔をしかめる場面が多かった」と話した。両雄のタイトル戦で何度か記録係を務め、「見慣れた」二人だが、「ちょっとレアですね」。
解説の鶴山八段から眠気対策を尋ねられると、「自分なりの次の手を考えるか、頭を空っぽにするかです」。目の前で対局者がおやつを食べている時は、「カステラがおいしそうでした」と笑いを誘った。
本因坊秀和ゆかりの地
第7局の対局場となった静岡県伊豆市土肥の坂聖・玉樟園(さかひじり・ぎょくしょうえん)では前身の玉樟園新井の時代から、数多くの囲碁・将棋のタイトル戦が打たれてきた。館内には、故・藤沢秀行名誉棋聖による「玉樟園」の書や、井山裕太碁聖、「平成四天王」の棋士らが訪れたときのサインが飾られている。

敷地面積は約1200坪あり、四季の花が彩る庭園に、渡り廊下でつながる四つの建物が立つ。テレビドラマ「細うで繁盛記」の舞台になったことでも知られ、原作者の花登筺(はなと・こばこ)が宿泊して執筆したという部屋は「こばこ」と名付けられて残っている。今回を含め、タイトル戦の対局室として使われてきた「名月」からは駿河湾を一望でき、晴れた日は海に沈む夕日が鮮やかだ。

土肥は、江戸末期から明治初期にかけて活躍し、「近代囲碁の父」とも呼ばれる第14世本因坊秀和の出身地だ。玉樟園から車で約15分のところにある最福寺には、秀和の顕彰碑が立っている。玉樟園の客室にも「本因坊」「秀和」「天元」などといった名前がつけられている。
囲碁にゆかりの深い玉樟園だが、「坂聖」に替わった2019年以降でタイトル戦の舞台となるのは、今回の名人戦が初めてとなる。フロントの潮木菜穂さん(58)は「両対局者にご不便がないようにして、対局に集中できるようにしたい」と話した。

15:00
「君だけ」のプリン
午後3時、両対局者におやつが振る舞われた。
二人がともに選んだのは「君だけプリン」。地元の観光スポット・恋人岬のコンセプトになぞらえ、卵の「黄身」と「君」を掛け、「恋人向けのプリン」として作られた。

一力名人はさらに「金箔(きんぱく)付かすてら」も選んだ。こちらは江戸時代に日本有数の金山として栄えた「土肥金山」にちなんだ一品。今シリーズで名人はしばしば、おやつを2品注文している。

難解な展開に糖分を欲していたのか、おやつが届くと、二人ともすぐさまほお張った。
14:00
戦いは中央へ
戦いはやむ気配がない。
左上の超難解定石から勃発したせめぎ合いは中央になだれ込んだ。石と石がきしむような接触戦が続く。多くの場合、どちらかに形勢が傾くのが常だが、AIの評価値を見ても互角の形勢が続いている。
黒1が午前中最後の一手。これにより左側の白石10個をすべて召し捕った。名人にとって巨大な利益だが、挑戦者にも言い分はある。

白の死石を取り囲む黒の包囲網もちりぢりに分断されている。どれかを取れば死んだはずの白の一団が瞬く間に復活する。
白4から反撃開始。黒15まで、黒の包囲網は二つに割れた。挑戦者としては包囲網を食い破ることはできなくても、攻めの効果で先の捨て石の投資回収を図りたい。
とはいえ、白10、12と逃げだした白の種石も決して強い石ではない。石の力のバランスが崩れれば、一気に形勢が傾きかねない。
布石そっちのけの戦いが延々続く。持ち時間各8時間のうち、午後2時現在の消費時間は名人1時間51分、挑戦者2時間9分。
私と名人戦
急がず手厚く 強烈な個性と対峙した本格派

名人戦七番勝負最終第7局の立会人を務める片岡聡は1992~98年、6期連続で名人リーグを戦った。この間の名人は小林光一、武宮正樹、趙治勲。強烈な個性と抜きんでた力で囲碁界を跋扈(ばっこ)する面々に対して、片岡は先を急がず、手厚い構えで押していく本格派として鳴らした。トップ棋士とはいえ、好不調の波がある。片岡はこのとき、棋士人生で2度目のヤマを迎えていた。
タイムライン連載「私と名人戦」。第7局立会人の片岡聡九段が、棋士人生で訪れた3度のヤマを振り返ります。
1度目のヤマは79~83年。天元戦を舞台に大暴れした。79年、21歳五段で出場した初の番勝負は加藤正夫にストレート負けしたが、82年にリベンジを果たし、翌年も防衛した。
「79年のあたりから『なんか強くなっている』という手応えがありました。上と戦っても、ある程度五分でやれるんじゃないかと」。しかし84年、石田芳夫に敗れ失冠した。
2度目のヤマでは93年に林海峰天元(当時)、94年には趙本因坊(同)に挑戦。いずれもタイトルに届かなかったが、本因坊戦では当時5連覇中の趙にフルセットの激闘を演じ、最終第7局は中盤の見損じで好局を落とした。
この年、名人リーグも開幕4連勝のスタートダッシュを切ったが、後半1勝3敗と失速した。名人リーグと本因坊戦が重なり、「正直、ちょっとくたびれた感じはあったかもしれない」。
片岡の七大タイトル獲得歴は80年代の天元2期のみ。名人リーグ在籍時は本因坊リーグにも名を連ね、「黄金のイス」と呼ばれるリーグの座を二つ占めていた。まさしく当時指折りの棋士だったわけで、もっとタイトルを取っていてもおかしくない。
「あのへんが勝負だったかもしれない。取っていれば、(その後も)ちょっとばかり違ったかもしれない。今振り返ると、そんな感じがしますね」
98年、名人リーグ陥落。以降、リーグ復帰はない。「名人リーグは残るだけでも大変なんですけど、最後のほうは残っていればいいか、みたいな気持ちが多少あったかもしれない。そういう気持ちだったら、やっぱりダメですよ。挑戦する気持ちがないと、なかなか残れないですよね」
3度目のヤマが訪れたのは2008年。棋聖戦、本因坊戦の両リーグ入りを果たし、50歳前後で張栩、高尾紳路、山下敬吾、井山裕太らと戦った。

片岡は現在68歳。彼のタイトル戦、リーグ戦歴をざっとたどるだけでも、現在84歳の林から37歳の井山まで、実に広範な世代の名が出てくる。
今も現役プレーヤーとして碁を打ちつつ、温厚誠実な人柄から立会人としても引っ張りだこだ。今期名人戦の最終第7局は、一力、芝野の覇権争いのゆくえを左右する大一番。棋風と同じく、腰の据わった立会人の存在が現場を引き締める。
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13:00
対局再開
対局室には西側に駿河湾を望む大きな窓がある。両対局者が午後の西日を気にせずに打てるように、昼食休憩中に窓側の障子が閉められた。
午後1時、対局再開。芝野挑戦者はすぐには打たず、引き続き54手目を考えている。
12:00
白石10個取られても
名人が53手目▲を打ち、挑戦者が次の手を考慮中に昼食休憩に入った。
いきなり始まった超難解定石は、黒が△10個を掌中に収める大利を得た。ところが現局面のAIの判定は白の勝率56%だ。どういうことか?

△は取られたものの、黒の包囲網は寸断されており、挑戦者は個々の包囲網を追及してポイント回収に入る。まずはAから逆襲すると予想されている。黒はどの包囲網も食われるわけにはいかず、全部助けなければならない。
思いだすのは第4局だ。挑戦者は大石を捨ててから相手包囲網を追及し、形勢有利に運んだ。本局はどうなるか。布石そっちのけでいきなり始まった激戦は、午後もしばらく続きそうだ。
持ち時間各8時間のうち、消費時間は名人1時間16分、挑戦者1時間44分。午後1時から再開する。
12:00
海鮮ととんかつ
芝野挑戦者が54手目を考慮中に正午となり、昼食休憩に入った。
一力名人はマグロ、イカ、マダイ、キンメ、ブリ、アジの6種が乗った海鮮丼。芝野挑戦者は、とんかつ定食を選んだ。いずれもなめことワカメのみそ汁がついている。


囲碁将棋TVの配信でとんかつ定食を試食した鈴木伸二八段は「(とんかつは)芝野さんが験を担いだのかも。脂がしつこくなく、食べやすい」。海鮮丼を試食した鶴山淳志八段は「歯ごたえがあって新鮮な感じ。量もしっかりあって、午後の一力さんはパワーアップすると思う」。

10:50
「未知の領域」
1日目午前から左上で激しい攻防が繰り広げられるなか、立会人の片岡聡九段が囲碁将棋TVに登場した。
解説の鶴山八段が「朝からのんびりしている場合ではなくなりましたね」と切り出すと、「とんでもないことになっている。定石から外れて未知の領域に踏み込んで戦っているのかもしれない。一手間違えると、たいへんなことになる」と現況を語った。
10:00
1日目午前とは思えない
「1日目の午前中とは思えない激しさ」。最終第7局は、新聞解説の鈴木八段が驚くほどの立ち上がりとなった。
左上の挑戦者の白8のカケが激戦の端緒。黒9、11の出切りも定石の一つの型だが、こうなると石の生き死ににかかわる難コースに突き進むのは必至だ。

極隅の黒、その右側の白ともまだ生きていない。「知識ゼロで打ったら相当の冷や汗状態」とユーチューブ解説の鶴山八段。両対局者はどこまで研究しているのか。事前の研究勝負がモノをいいそうだ。

この白兵戦はどう決着するか。一手間違えば勝負がきまりかねない難所が続く。
9:10
推し解説も火ぶた
対局開始前から朝日新聞のユーチューブチャンネル「囲碁将棋TV」で中継がスタート。ユーチューブ解説は鶴山淳志八段が務め、さっそく新聞解説の鈴木伸二八段との〝掛け合い〟が始まった。
今シリーズ定番の「推し解説バトル」。対局者同様に「ニギリ」をして、鶴山八段が黒番の一力名人、鈴木八段が白番の芝野挑戦者を応援することになった。

前局を落とした芝野挑戦者について、鈴木八段は「流れをまったく気にしない棋士。10代の初タイトルが名人だったこともあって、名人のイメージが強い」。対して、鶴山八段は「(二大タイトルの)棋聖がいて、名人がいることで盛り上がる。囲碁界全体のことを考えている一力さんならば、名人は譲れない」。それぞれの「推し」にエールを送った。
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9:00
一力名人が先番
セミが鳴く季節に始まった第1局から2カ月、今期の名人戦もいよいよ最終局を迎えた。
午前8時51分に芝野挑戦者が対局室へ。挑戦者が碁笥(ごけ)を軽くぬぐっていると、一力名人も姿を現した。対局室の窓からは駿河湾が見える。雲はほとんどなく、波も穏やかだ。2人は目を閉じて向き合い、静かに対局開始の合図を待つ。

午前9時、先後を決めるニギリで一力名人が黒番(先番)に決まった。一力名人が1手目を右上の小目へ、芝野挑戦者はすぐに左下の星に打ち、対局が始まった。


対局前日
「勝っても負けてもこの戦いは終わる」
対局前日、両対局者はそろって静岡県伊豆市の旅館「坂聖(さかひじり)・玉樟園(ぎょくしょうえん)」に入った。
夕方、駿河湾を望む対局室を検分した後、一力名人は「第6局に勝って本局を迎えることができたのは良かった。ふだんどおり自分のベストを尽くせるよう頑張りたい」と話した。

芝野挑戦者は「勝っても負けても、この戦いは終わる。そういう意味では、むしろ今までより気負いは少ないかもしれない」と語った。

開幕連敗の挑戦者が第3局から3連勝して名人をカド番に追い詰めたが、第6局で名人がタイに戻し、最終局になだれ込んだ。2カ月に及ぶシリーズは決着のときを迎えた。

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