「言うたらいかん」記憶をしまった母 満州引き揚げで何が、問う兄妹

「言うたらいかん」
香川県三豊市で暮らす高橋英勝さん(88)は、17年前に91歳で亡くなった母マサヱさんが残した言葉を覚えている。
海外からのお遍路さんも訪れる四国八十八カ所霊場第70番札所、本山寺(もとやまじ)。その境内にあり、普段は閉ざされている満洲開拓資料館・慰霊堂(非公開)の扉を、英勝さんは時折開けて風を通している。
元開拓団員らの寄付で建てられた木造の建物には、満州国での暮らしの写真約70枚や、引き揚げ船の乗船名簿などが保管されている。
満州国は、1931(昭和6)年9月18日に日本軍が満州事変を起こした翌年、現在の中国東北部に建国された。日本人と満州族、漢族、蒙古族、朝鮮族の「5族」が共生する「五族協和」を掲げたが、敗戦で崩壊するまで実権は日本人が握る、日本の傀儡(かいらい)国家だった。
その満州に、旧三豊郡の農家だった英勝さん一家は、開拓団員として渡った。英勝さんが3歳のときだ。県立ミュージアム(高松市)の調査研究報告によると、同時期に、三豊開拓団として478人が移住した。
両親と祖父、2歳下の弟の計5人で入植したのは、ソビエト連邦(現ロシア)との国境に近い牡丹江省(現中国黒竜江省)五河林。集落は土塀と柵で円形に囲われていた。
住まいは、床暖房のオンドルが備えられ、冬でも暖かかった。日本人が「満人」と呼んだ地元住民の元家屋だったとみられる。両親は、広い土地を耕運機で耕してコーリャンやジャガイモなどを育て、英勝さんは開校したばかりの国民学校に通った。冬になると、地元住民の子どもとスケートをして遊んだ。
マサヱさんが口止めしたのは45年8月、ソ連軍の満州侵攻から始まった1年にわたる引き揚げ生活のことだ。
始まった母との「逃避行」
五河林の上空にソ連軍の飛行…
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