第32回間近で見たヘレン・ケラー 被爆で視力が低下、励ましを一生の糧に
つむぐ 被爆者3564人アンケート 田中英子さん(87) 米軍による原爆投下から3年が過ぎた1948年10月13日。米国の福祉活動家、ヘレン・ケラー(1880~1968)が広島を訪れた。幼い頃の病気の影響で聴力と視力を [...] The post 第32回間近で見たヘレン・ケラー 被爆で視力が低下、励ましを一生の糧に appeared first on Japan Today.

つむぐ 被爆者3564人アンケート 田中英子さん(87)
米軍による原爆投下から3年が過ぎた1948年10月13日。米国の福祉活動家、ヘレン・ケラー(1880~1968)が広島を訪れた。幼い頃の病気の影響で聴力と視力を失い、家庭教師らの支えで言葉を覚え、世界各地で講演活動を続けていた。
広島駅前には、出迎えの人ら1千人以上が集まった。その中に小学5年だった田中英子さん(87)と3歳年下の妹がいた。大勢の大人をかき分け、最前列だった。
「彼女が広島で残した言葉は、私の一生の糧になりました」。田中さんはこの夏、松山市堀江町の自宅で被爆80年の歩みを振り返った。
45(昭和20)年8月6日朝は雲一つない快晴だった。7歳だった田中さんは広島市西蟹屋町(現在のマツダスタジアム近く)の自宅の縁側で妹と遊んでいて、ピカッという光を感じた。直後に大きな音がしたと記憶している。
【3社合同企画】つむぐ 被爆者3564人アンケート
原爆投下から80年。朝日新聞、中国新聞、長崎新聞の3社は合同でアンケートを行いました。被爆者たちが私たちへ託した言葉をみる。
- 【詳報】被爆80年、アンケートに託された3564人の思い
突然視界がぼやけ、目に手をあてると、まぶたの上に血が流れていた。左ほおに違和感があり、触れようとすると、手は口の中に突き抜けた。皮膚がざっくりと裂けていた。痛みはなかったが、白いブラウスは真っ赤だった。
当時の自宅は爆心地から2・…
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