県立相模原の佐相前監督が死去 「打ち勝つ野球」掲げ、闘病中も指導

県立相模原高の佐相眞澄監督(当時)。朝日新聞の取材に対し、初めてがんだと公表した=2024年7月6日、神奈川県藤沢市、手代木慶撮影  膵臓がんで闘病していた神奈川県立相模原高校野球部の前監督、佐相眞澄(さそう・ますみ)さ [...] The post 県立相模原の佐相前監督が死去 「打ち勝つ野球」掲げ、闘病中も指導 appeared first on Japan Today.

県立相模原の佐相前監督が死去 「打ち勝つ野球」掲げ、闘病中も指導
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県立相模原高の佐相眞澄監督(当時)。朝日新聞の取材に対し、初めてがんだと公表した=2024年7月6日、神奈川県藤沢市、手代木慶撮影

 膵臓がんで闘病していた神奈川県立相模原高校野球部の前監督、佐相眞澄(さそう・ますみ)さんが24日夕に死去したことがわかった。66歳だった。

 法政二高、日体大の野球部で活躍。野球の指導者をめざして中学校教諭に。監督として3校を計4回、全国大会出場に導き、「中学軟式野球の名将」と呼ばれた。

 高校への異動を希望し、2005年から県立川崎北高へ。その後、県立相模原高でも野球部を指導し、「打倒私学」「甲子園出場」を公言していた。23年度で退職したが、昨年12月までは外部指導者として相模原高の指揮を執っていた。

 15年春の県大会で準優勝、19年の夏の神奈川大会では4連覇がかかった横浜を破って4強入りするなど、「打ち勝つ野球」を掲げて実績を残してきた。

 昨年6月、ステージ4のがんと告げられた。それでも「闘ってやろうじゃないか」と監督を続投。抗がん剤治療などを受けるために通院しながら指導し続けた。

昨年12月、記者に話した言葉は

 昨年12月、治療に専念する…

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