第3回「この軍事政権は話ができる」かつてのミャンマー、現体制との相違点
ビルマ語の留学期間が終わってそのままヤンゴンの大使館で勤務していたころでした。ネウィン政権の末期です。 水祭りの休暇を終えてマンダレーの陸軍士官学校に戻る学生たちがヤンゴン中央駅にいるのを見ました。学生たちはホームで [...] The post 第3回「この軍事政権は話ができる」かつてのミャンマー、現体制との相違点 appeared first on Japan Today.

ビルマ語の留学期間が終わってそのままヤンゴンの大使館で勤務していたころでした。ネウィン政権の末期です。
水祭りの休暇を終えてマンダレーの陸軍士官学校に戻る学生たちがヤンゴン中央駅にいるのを見ました。学生たちはホームで軍歌、さらに国歌を歌っていました。するとホームに居合わせた市民たちも一緒になって歌いました。
2024年9月まで駐ミャンマー大使を務めた丸山市郎さんが、通算27年におよぶミャンマー駐在で見てきた出来事を振り返ります。
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軍事クーデターで独裁政権となったネウィン体制を国民は嫌っていました。しかし、この光景を見て、やはり国軍は国民から一定のリスペクトを受けているんだなと感じました。
タンシュエ軍事政権の時期に私は国軍情報局トップのキンニュン第1書記やその他の大臣と会っていましたが、経済にしても内政にしても相当程度議論ができました。軍事政権であっても閣僚たちはかなりの裁量権を持っていました。
アウンサンスーチーさんは1995年に1回目の自宅軟禁から解放された後、地方訪問を試みて阻止されたり再び自宅軟禁されたりしました。私は軍側にスーチーさんを釈放すべきだと話すことがありましたが、「それは我々も考えねばならない問題だ」と真っ向から拒否する反応ではありませんでした。
軍と民主派の両方との付き合っている実感
また自宅軟禁を解かれたスー…
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