田沼意次も挫折した「沼」開発 怪物伝説が残る千葉・印旛沼を歩く

 白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき――。江戸中期、幕府の老中だった田沼意次(おきつぐ)が失脚した後、実権を握った白河藩主・松平定信による統制政策の厳しさをなげいた、有名な狂歌だ。田沼の失脚は自然災害の影 [...] The post 田沼意次も挫折した「沼」開発 怪物伝説が残る千葉・印旛沼を歩く appeared first on Japan Today.

田沼意次も挫折した「沼」開発 怪物伝説が残る千葉・印旛沼を歩く

 白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき――。江戸中期、幕府の老中だった田沼意次(おきつぐ)が失脚した後、実権を握った白河藩主・松平定信による統制政策の厳しさをなげいた、有名な狂歌だ。田沼の失脚は自然災害の影響が大きかったというが、ある「沼」も一因になったと聞き、千葉県を訪れた。

一面に広がる水田

 東京都心と成田空港を結ぶ京成成田スカイアクセス線。特急に乗り、高層ビル群や郊外の住宅街を駆け抜けると、30分ほどで車窓に水田と水面が広がった。千葉県印西市や佐倉市などにまたがる印旛沼(いんばぬま)だ。

写真・図版
広大な北印旛沼。釣り人が沼にさおを向けていた=2025年5月9日午後2時55分、千葉県印西市、平賀拓史撮影

 沼は北と西の二つに分かれており、広さは合計11・55平方キロメートル。上水道や農業・工業用水から、浦安市の東京ディズニーランドなどのレジャー施設へも水を供給する、千葉県の水がめだ。

 西沼と北沼をつなぐ水路に面する高台に登った。西側に水面が、東側には田植えを終えたばかりの水田が一面に広がる。

 「田んぼの方が、沼よりも低い位置にあるんです」。沼や周辺の水質・環境保全に取り組む印旛沼環境基金主任研究員の日浦博昭さんが教えてくれた。もともとは、水田も沼の一部だったといい、広さも沼と同じくらいに見える。戦後の開発で現在の形になる前の沼は、現在の倍以上の29平方キロメートル。北と西の沼もつながっていたという。

 一帯は江戸時代、水害に悩まされてきた。原因は、徳川家康の時代にさかのぼる。

 天正18(1590)年、関白豊臣秀吉により関東に国替えされた家康は、江戸(東京)湾に流れ込む利根川の流れを変え、太平洋へと向かわせる大規模な河川工事を行った。この「利根川東遷」は江戸を水害から守り、大都市へ発展させる礎となったとされる。

相次いだ水害

 一方で、割を食うことになったのが印旛沼一帯だった。利根川の水が増水すると、南にある印旛沼に水が逆流し、あふれるようになったのだ。

 相次ぐ洪水や重い年貢に、周…

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